2013年3月3日日曜日

教えるって難しい

先日, 新幹線に乗ったら, 隣は外国人の女性だった. 車中, 私は本を読んでいたのだが, 彼女は鞄からレポート用紙を取り出して, それのチェックを始めた. 多分, 彼女は英語の 先生で, 生徒の英作文の宿題か何かを採点していたのだと思う

ちらちらとその英作文を見ていると, 単純な文章で単純なミスをしているものがほとんど だった. これならわざわざ外国人の先生を連れてこなくても, 日本人の大学生のアルバイトで 十分だ. しかも彼女は間違いの多い英作文であっても, ポジティブなコメントを書き込み, 比較的 高い点数を付けている. 何となく 腑に落ちない感じだった

しばらくして十人分程度の英作文の採点を終えた彼女は, そのレポート用紙を鞄に しまうと, A5 サイズのノートを取り出し, それを見始めた. ちらっとそのノートを見ると, そのノートは彼女が日本語を勉強する際に使用しているものらしく, たどたどしいひらがなと, その意味を 示す英単語がセットで書かれていた. つまり彼女は英語の先生であり, かつ日本語の生徒であったのだった

そのとき, さっき腑に落ちなかったものが, 少し理解できた気がした. 日本語の初級者である 彼女は語学の勉強の大変さを身に染みて感じており, 生徒の目線でどのような指導であれば 勉強が進むかを肌で知っているから, 間違いの多い英作文であってポジティブなコメントを書き込み, 比較的高い点数を付ける ことで, 勉強を前に進めようとしていたのではないか?

そんなことを考えていたら, ふと楽天の三木谷さんのことを思い出した. 楽天社内の 公用語を英語化する際, 三木谷さん本人はアメリカへの留学経験もあったので英語にはさほど 不自由をしていなかった. しかしそれではこれから英語と格闘しなければならない社員との 差が大きいので, 三木谷さんは中国語の勉強を始めた. 会社の命令で英語を勉強する ことになった社員の気持ちを理解する手段の 1 つとして, 中国語を勉強したのだろう (もちろん, 中国語を話せればビジネスで有利という思惑もあっただろうが)

「教える」とき, 相手の間違いを指摘するのはたやすい. しかしそれだけでは不十分であり, 結果として相手が成長したときに初めて「教える」という行為が完了したと考えられる. だから 英語を教えるには単に英語の得意な大学生では力不足で, 教わる側の気持ちも理解できる彼女のような 人が適しているのだろう

最近, 立ち読みした雑誌に書いてあったのだが, 親はよく子供に対して「勉強しなさい」と 怒るが, 親自身が子供だったときに「勉強しなさい」と言われてどう感じたかをよく思い出して みると, その行為にあまり効果がないことはよく知っているはずである. 誰もがかつては教わる 側であり, 教わる側としてしてもらうと嬉しいこと, あるいはされたら嫌なことは体験を通じて 知っているはずなのに, 教える側に立場が変わるとそのことをすっかり忘れてしまうものである

教えるって難しいと, しみじみと感じた