2011年4月17日日曜日

2011-1Q のアニメを振り返る (3) レベル E

最後に, テレ東系で放送していた レベル E. 「幽遊白書」で有名な冨樫義博の 10 年以上前の作品をアニメ化したもの. 「アニメノチカラ」の時間帯で 放送されたアニメで, ただそれだけの理由で初回を録画して視聴. 以降, ずるずると見続けた. この原作をアニメ化したという思い切りと, オープニングに栗山千明をもってきた感性に, エールを送ります

たくさんの宇宙人が紛れて暮らしている地球に, ドグラ星の王子と側近が不時着. 王子は記憶を失い, 地球人の高校生のもとで暮らし始めるが, それは他人を困らせるための 王子の演技. その後も王子の企みによって周囲の人が振り回され続ける, という話

基本的には壮大なドタバタ話で, ひょっとしたらそれなりの意味も汲み上げられるのかも しれないが, ドタバタ話を単純に楽しむというスタンスで見続けた. 原作者の発想の 大きさ, 意外さが楽しかった

こんなふうに, アニメの原作として新しいマンガを追うのではなく, ちょっと忘れられているような マンガにスポットを当てるというのも面白いと思った (企画者の感性がストレートに問われるけど)

以上, 2011-1Q は 3 作品を見た. 2011-2Q は ノイタミナ の 2 作品のみで行く予定. デフォルトで ノイタミナ を見るように なってしまったが, それで良いかは思案中

2011-1Q のアニメを振り返る (2) 放浪息子

その 2. ノイタミナ枠の 放浪息子. 男の子になりたかった女の子と, 女の子になりたかった男の子が中学生になり, 友人たちとの少し複雑な人間関係の中で日常を過ごし, 成長していく話

中学校への進学から, 文化祭で倒錯劇をやるまでの前半では, 明示的には語られないが 色々あった小学校時代の人間関係をベースに, そこに新たな友人たちが加わって物語が 進行する. 主人公・二鳥の行動や考えは, 見ているこちら側にも緊張を強いてくるような 緊迫感を感じた. 文化祭の倒錯劇では, 千葉さんのロミオに対し, 二鳥ではなくマコちゃんが ジュリエット :-) これでマコちゃんと千葉さんの仲がどうかなるかと期待したけど, どうにも ならなかったのは千葉さんが他人や自分の過去に対して律儀だったからか? 文化祭の回の最後, 劇を見たマコちゃんの 母親が, ロミオのセリフを息子に語りかけたシーンがあった. マコちゃんは, 母親が自分を からかっていると思ったが, 多分そうではなくて, 息子に対する母親の愛情が, 千葉さんではなく 自分があのセリフを息子に語りかけたいという想いになり, それが行動になって 現れたのだと思う. 女性向けのマンガをベースに, 丁寧にアニメ化したからこその シーンだと思う

後半では, 二鳥は意外にも年上の安那ちゃんに告白して付き合うようになり, またクラス替えで小学校時代に嫌な思い出のある土井と同じクラスになり, 衣替えのときには高槻さんが男の格好をして登校する. 男の格好をする 更科さんや高槻さん, また土井の言動を受けて, とうとう二鳥はセーラー服を着て 学校へ来てしまう. それまでの流れからは, いつかはこうなるだろうと思わせつつ, 実際にそうなるとそれが異常であるというギャップが, うまく表現されていたと思う. その結果, 二鳥は学校へ来ても保健室で過ごすようになり, 安那ちゃんから別れられて しまうが, 2 年生の文化祭をきっかけに, 元の関係に戻れそうになる. 小さいことの 積み重ねがいいエンディングに結実して, 良い作品になったと思う

最後, 「女の子の服は似合わない (高槻さん). 男の子の服はつまらない (二鳥)」という セリフがある. 高槻さんが男の格好をし, あるいは二鳥が女の子の格好をする理由が これであると字面通りに受けとって, さらに文化祭で二鳥が自分の声変わりを肯定的に 捉えたことと併せて考えると, 二鳥は女の子になりたいというわけではなく, 自分の考えに男の子らしい強い自信を持っているだけで, それがたまたま女の子の格好として外に出ただけというふうに感じる. そのあたりが 文化祭で安那ちゃんに伝わって, 安那ちゃんはそれを理解したから, 安那ちゃんは最後に劇を見に来れたのだろう

放浪息子 では音楽も良かった. オープニングは, 最初は CM でピンクの口紅を付けた男が歌っているのを見て少しゲンナリしたけど, 原作を 読んでから制作した歌だけあって, アニメ本編にマッチしていた. また劇中では 心情を表現する曲が良く, 特に「ラ・ラ・ラ」とラの音ばっかりの曲が, 沈んだ心, 少し 上向きの心などをうまく表していた. この曲は, 少しアレンジの違う数パターンがあるような 気がするが, 定かではないので, CD が出たら確認しようと思う

蛇足. フラクタル放浪息子 もそうだったのだが, 話が最後に近付くと, オープニングの歌を飛ばして本編に入り, 途中や最後に 歌が来るというパターンが多い. こうすると物語が急展開しているような印象に なるけど, パターン化してくるとちょっとつまらなくなるのは私だけか?

2011年4月16日土曜日

2011-1Q のアニメを振り返る (1) フラクタル

関西地方ではようやく 2011 年 1Q のアニメに区切りが付いたので, ここらで振り返りを. 最初はノイタミナ枠の フラクタル

世界はフラクタルと呼ばれるシステムが支配し, 人は, 日常生活はドッベルと呼ばれる 分身に任せ, 本人はフラクタルが作り出す仮想世界で過ごしていた. フラクタルができてから 長い年月がたち, 綻びが目立ってきた. そこで, フラクタルを管理する僧院は「鍵」と呼ばれる女の子を使って フラクタルを再起動させようとするが, その女の子は僧院を逃げ出し, 男の子に出会う. また「鍵」となる女の子は, 反フラクタルの集団「ロスト・ミレニアム」の一派にも 追われていた‥という話

人間があるシステムに管理され, その中でしか生きられなくなる. しかし人間には それとは違う, 人間本来の生き方がある, というような設定であったり, ロスト・ ミレニアムの思想だったり, 男の子の悩みだったりは, 面白かった. ただ, そもそも 「鍵」とは何だったのかとか, フラクタルができたときの女の子 (= 神) の役割は 何だったのだろうかとか, 広げすぎた風呂敷を畳みきれなかった感じがあり, その 点が物足りなかった. 「攻殻機動隊」のゴーストみたいに, システムを有効にする ためにはヒトが必要なのか? 老朽化したシステムを再起動するには新たなヒトが必要 なのか? とかいろいろな想像の余地はあるのだが, 他作品からのメタファではなく 自作品の内側でそのあたりをもう少し語ってほしかった

また, 最後の最後で女の子が目覚めるシーンは, もっと感動的でも良かった と思う

フラクタル のような作品なら, ノイタミナ枠ではなく, もう少し普通の時間帯でも良かったのではないか? 現時点で そういうアニメを流す時間帯は無いけど, 放送局を気にしなければ例えば週末の 夜 18 時から 20 時くらいの間でも十分 OK だと思う. ただしその場合は 細かな表現を少し変える必要があると思うが, それによって作品の本質的な部分は 変わらないと思う. 全ての非お子様向けアニメを深夜に流す必要はないと思うのだ

最後に 1 つ, 秘密をもった女の子が男の子に出会い, 女の子は元の場所に連れ戻されてしまうが, 男の子が他の集団と協力して助けに行くという話は, 他にもある. そういう話の幹みたいな 部分でオリジナリティを出すのは, もはや難しくなってしまうくらいに多数のアニメが 世に出てしまっているのだろうか?

2011年4月2日土曜日

ハリネズミ (AZUMA HITOMI, 「フラクタル」オープニング) 口笛

久しぶりの口笛. 2011 年 1Q の ノイタミナ で放映されたアニメ フラクタル のオープニングです. 高音が続く & 息継ぎが 難しいので, 聞いてて苦しげです :-p

次は間が空かないうちに何か吹いてみたいと思う (思うだけにならないようにしたいと思う)