2010年8月29日日曜日

「獣の奏者 II 王獣編」 (上橋菜穂子, 講談社) 読了

エリンは真王の象徴である王獣と意思の疎通ができるようになったが, 王獣の潜在的なパワーを使って政治を動かそうとする人々の思惑に巻き込まれていく. 霧の民として死を選択した母のことを考えつつも, エリンは自分の歩むべき道を 見極めていく

国にとって何が良いのか? 王獣にとって何が良いのか? を考えることが, 現在の国と国との関係や, 兵器に対する態度などとオーバーラップした. 理想はあくまでも理想で, 現実的にはある種の力を背景にした平和しか 無いのだろうか?

「獣の奏者」は III と IV が出ているが. 図書館の予約人数がかなり多く, 読めるまでにはもう少し時間がかかりそう

2010年8月21日土曜日

「小説 東のエデン」 (神山健治, メディアファクトリー) 読了

TV アニメ「東のエデン」の小説版. 高額の電子マネーが振り込まれているケータイを持つ 滝沢朗は, 自分の意思で記憶を無くしていた. 自分が何をしようとしていたのかを探るうちに, 他にケータイを持つ人間が何をしようとしているのかを知り, それを食い止めようとする

TV アニメを正確になぞり, プラスして登場人物の背景など細かな描写が追加されている. TV アニメのスピーディな展開についていけなかった人にお薦め. ただ TV アニメ版までの 内容しか書かれていないため, 続きが気になる私のような人はやはり映画を見るしかないのだろうか?

「死ねばいいのに」 (京極夏彦, 講談社) 読了

亜佐美が死んだ. 亜佐美と 4 回会っただけの健也は, 亜佐美のことをもっと知るために, 亜佐美を知っている人々のもとを訪れ, 亜佐美の話を聞こうとするが…

私が思ったのは, いろんな不満があったとしても, それを他人や運のせいにしているうちは単なる愚痴であり, 解決には結びつかない. 嫌でも自分を変化させるほうが手っ取り早いということ. もう 1 つは, 他人の話を素直に聞くということは難しいということ. どうしても自分の主観に当てはめようと してしまいがちなのだ

健也は喪黒福造っぽい気がした

2010年8月15日日曜日

ナノブロック・ピアノ

日経新聞でも紹介されていて気になっていた ナノブロック, ようやくピアノを手に入れたので作ってみた

袋を開けると, 説明書と, 小分けされたパーツが入っている

途中まで組み立てたところ, 上部と足ができている

これで完成. 所要時間は 40min くらい. 思ったより時間がかかった :-) よく見ると 周囲に部品がちらばっているのが分かるかもしれないが, 少し余分にパーツが入っていた

パーツの拡大. 2x8, 2x4, 2x2 は真ん中にゲートがあるが, 1x4, 1x2, 1x1 は突起の中央に ゲートがある. ゲートからの距離によって, 突起の充填具合 (ヒケ具合) が微妙に違っていて面白い. 最終充填位置が突起部になっているようで, 樹脂が会合しているような跡も見られた

組み立てた感想は, やることは単純なのだが, 小ささと複雑さ (説明書通りに作る必要がある) から 思ったよりも時間が掛かったなぁということ. ピアノはレベル 2 なのだが, リアルホビーシリーズの 姫路城とかになるとどんだけ時間がかかるんだろう?

ブロックと言うとレゴが思い浮かぶが, ダイヤブロックナノブロック (メーカは一緒だけど) など 国産メーカにも頑張ってほしい. でもナノブロックというネーミングは, ちょっと思い切りすぎたと思うけど :-) でも小さいものを愛でるのは日本人らしくて良い

「獣の奏者 I 闘蛇編」 (上橋菜穂子, 講談社) 読了

エリンの母・ソヨンは戦闘用の獣・闘蛇の管理を任されていたのだが, ある日, 一群の闘蛇が死んでしまい, ソヨンは責任を負って処刑されてしまう. 独りになったエリンは蜂飼いのジョウンと暮らすようになり, 生き物に興味を抱きながら成長する

不安定感のある政治情勢, 政治と密接に関わる王獣と闘蛇, そしてこれらの 生き物に強く関心を抱く霧の民・エリンと, 役者が揃っている. 間をあけずに 次に進みます

「ブリューゲル版画の世界」展 in Bunkamura ザ・ミュージアム

「ブリューゲル版画の世界」展に行ってきた. 新聞や駅の広告では, 奇想天外な銅版画が使われていたが, 私が見た印象としてはそういうものはむしろ少数派で, 田園風景などの版画などが多かったように思う. 16 世紀に制作された精緻な銅版画を生で見ることができて, 非常に良い経験だった.

例えば影はベタで塗ることはできないので, 細い線で陰影を表現する. そんな表現の 制約の中でも, 奥行き感のある版画を作れるというのは驚きだった

2010年8月14日土曜日

「サマーウォーズ」 on TV

2009 年夏公開の映画. 祖母の 90 歳の誕生日に祖母を喜ばせようと思い, 孫の女性高校生が, 後輩の男の子を彼氏と偽って祖母の家へ連れて行く. 一方, 現実世界のあらゆるインフラと繋がり, またユーザ同士のコミュニケーションも可能な 仮想空間 OZ (オズ) で管理者用のパスワードが破られ, ユーザのアカウントが次々に乗っとられるという事件が発生. 現実の世界も大混乱する

パスワードは人間の手計算レベルでは破れないよとか, 冷めた目で見れば「ここはどうかなぁ」という箇所が無いわけでは無いが, アニメだしまぁいいかと思わせるほどに引き付けられるストーリィ展開であったり, アニメ表現だったりした. 仮想空間をメタファをつかって映像として表現したり, アニメならではの自由度を生かしつつ, きっちりと通した筋に沿って丁寧にストーリィが展開されていて very good だった. 個人的には, イカ釣り漁船のおじさんの声が波平さんと同じ (永井一郎さん) だったのだが, 落ち着いている波平さんからは想像できないくらいの元気な声・セリフがよかった.

はやぶさが無事に帰還し, また Twitter などのコミュニケーションツールの認知度が 上がってきたこの時期に再放送できたのは, 良いタイミングだと思った

2010年8月13日金曜日

「オルセー美術館展 2010」 @ 国立新美術館

東京・六本木の 国立新美術館 で 行われている「オルセー美術館展 2010」へ 行ってきた. 会期末が近いこともあり, 夕方に行ったのにも関わらず, 入り口では 70 分待ちと言われる. 仕方がないのでそのまま並んでいると, 結果的には 30 分くらいで中へ入ることができた

オルセー美術館から有名な絵画が来ているということだけで見に行ったのだが, 実は私は絵画に対してはポジティブでもネガティブでもなく, ニュートラル. ゴッホの自画像など有名な絵もあって「おぉっ」とも思ったが, 一番気に入ったのは ヴァロットンの「ボール (ボールで遊ぶ子供のいる公園)」かな? 上から俯瞰する視点と, 日常を切り取った何気ない風景が良かった

昔そこに建っていた旧陸軍の建物が, バームクーヘンの一片のように切り取られて保存されている姿も面白かった

「数えずの井戸」 (京極夏彦, 中央公論新社) 読了

役無しの直参旗本, 青山播磨が, 次期若年寄の噂のある大久保家の姫君, 吉羅と結婚することになる. ただし, 青山家の家宝の皿を, 大久保家に献上するのが条件. 日常に満たされない播磨の周りで, 側用人の十太夫たちが皿を探すも, 見つからない. そんな中, 青山家の家風を知るためと吉羅が青山家に寝泊りするようになり, また十太夫が面倒を見ていた長屋の娘, 菊が, 奉公人として青山家にやってくる. そして吉羅とその使用人, 青山家の使用人, 菊の間でトラブルがおこる

播磨にしろ吉羅にしろ, また十太夫にしろ菊にしろ, 自分の立場や自分はこうすべきという思いに基づいて行動したのだが, 結果として悲劇になってしまったのは, 悲しいことである. 悪人がいないわけではないが, 悪人が直接的に悲劇のトリガを引いたのではなく, 個人個人の良かれと思って行動したのだが, 全体としては悪い方向に向かってしまったのは, やはり運命なのだろうか? 多少, 考えに無理があったり, 御都合主義的な展開が無いこともないが, 面白い話でした

「借りぐらしのアリエッティ」

※公開して間もない映画を話題としています. 読む, 読まないの判断は慎重にお願いします

床下に住む小人の家族は, 人間のものを少しずつ借りながら生活していた. しかしある日, 小人の少女・アリエッティが男の子に見つかってしまう. 小人の生活を守って生き続けていくために 引っ越しを考える小人の家族と, 小人の生きる姿から勇気をもらう男の子の話

宮崎の企画ではあるが, 宮崎が監督をしていないということで話題になっている作品である. しかし, 絵面的には今までの宮崎作品・ジブリ作品のパッチワークのように見えた. 宮崎が制作に関与しないジブリ作品のレベルの高さを示しつつ, 一方で, 宮崎が制作に関与しないジブリ作品の上限を見た気がする. 宮崎が率いるジブリのスタッフが作った作品だし, だからこそ期待を裏切らない「ジブリ」らしい作品に仕上がっていると考えることもできるが, 私としては, 宮崎ではない監督の作品であるならば, もう少し違った絵を見たかった

音楽は, 主題歌を含めて外国製. 小人の世界という異界を表現するために日本人が聞き慣れない 音楽を持ってきたのは当たりだと思う. ただ, 「聞き慣れない音楽」という印象が強すぎて, BGM としての音表現の深さみたいなものは感じられなかった. 映画作品を通じて「音とはこうあるべき」 という哲学が, この映画では「音は異界を表現するもの」となっているような気がして, それだけでは少し寂しいなぁと感じた

最後に落穂拾い. 背景の動かし方やフォーカスの変え方など, アニメとしては (多分) 新しい 表現もあり, そういうチャレンジングなところは Good. 小人がお茶を入れるシーンなど, 小さいが故に表面張力の効果を大袈裟に表現したところは面白かった. しかし 一方で, 大きさの統一感のイマイチな部分が気になったり (例えばアリエッティの髪を止める 洗濯バサミと男の子の指の大きさの比較など), 小さくなることの影響は表面張力以外にも あるのではないだろうか? と疑ってしまったり (人間を縮小しただけなら虫と同じ スピードで動くのは無理だろうとか, 両面テープで壁を登るのは多分無理とか) したところに, 自分の器の小ささを再認識した. 人間が増える一方で小人たちが減っていくという悲しい背景は, 鬼太郎と一緒だなぁとか思ったりした

2010年8月8日日曜日

大人は面倒くさがり屋なのだ

昨日, ボタン電池を買いに行った. 直径 6mm くらいの電池で, 型番は刻印されているものの非常に読みにくい. だから電池そのものを持って, 電気屋に向かった

電気屋に着いて, 店員さんに電池を見せて「これと同じのを下さい」と 言おうと思ったのだが, 思い直して, 自分で型番を凝視して, 棚から 同じ電池を探してレジに持っていった

店員さんに電池を見せるということは, 大袈裟に言えば電池を探すことの 責任を他人に転嫁することである. 私の肩の荷は降りるが, そういう 緊張感がないと人としてふにゃふにゃになってしまうんじゃないか? と思った. で, 電池選択の全責任を自分で負うため, 自分で型番を調べたのだ

そもそも店員さんに電池を見てもらおうと思った理由は, 自分で見るのが面倒だったからだ. 最近, ちょっとしたことが徐々に面倒に なってきた気がする. 簡単な計算でもすぐに電卓を出したり, 机の周りの 整理整頓が中途半端だったり, 会話の中でモノの名前を「あれ」で誤魔化したり, いろいろある. でも自分に適度なプレッシャーをかけてないと, 面倒くさがり病が蔓延しそうで, 要注意だ

子供の頃, トランプの神経衰弱が得意だった. あぁ, 自分は大人よりも 記憶力があるのだなぁと当時は思ったのだが, 今にして思えば大人は トランプの札を覚えるのが面倒なだけだったのかもしれない :-)

「怪 vol.0030」 (カドカワムック 352) 読了

特集は遠野と鐵だが, この号は面白い話が満載だった

第 2 特集の鐵は, 鐵の周辺の神や妖怪の話. たたらで鐵 (玉鋼) を作るのは大仕事で, どんなにヒトが頑張っても制御しきれない部分が残る. 文字通り「人事を尽くして天命を待つ」であり, 神頼みでもしないとやってらんないよーという状況だったのだろうと思った

アウトサイダー・アートは, 確か以前の号でもたびたび取り上げられていたと思うが, そのときは実は私には面白さが分からなかったのだ. しかし今回取り上げられている作品は, 強烈である. 確かにこれを見た者は, どう理解すれば良いのか戸惑うだろうが, そういうところをひっくるめて強烈だった

強烈といえば, 台湾の道教巡りも強烈だ. こういうことを考えられる人が近くの国にいると いうことだけでも凄い

その他, 盆踊りや軍艦島の葬式は, 8 月という時期を逃すことなく良いタイミングの 記事だった. 木島物語はだんだん話が主観的になっていくようで, 少しずつ前後関係が 分からなくなっていっているのだが, そういうところも含めて雰囲気が良い. 京極の話が 無い (豆腐小僧は考えないとして :-p) のは寂しいが, 私にとっては読みどころ満載の号でした

2010年8月1日日曜日

はさみ

私が家で使っているはさみの写真である. 幼稚園の頃に使っていたものを そのまま使い続けていると思っているのだが, この文章を書こうと思ってよくよく思い出してみると, 私が使っていたはさみはもう少し大きいものだったような記憶もあり, ひょっとしたらこれは 兄弟のものだったのかもしれない. でも時代的には, 30 年以上前のもので間違いない

プラモデルを作る際にランナを切ったりするなど, かなり無理な使い方をしてきた. でも今なお紙を切るなら全く問題ない. ちょっと錆びついているが, ここ十数年は錆びも広がっているようには感じず, まだまだ使える

ちなみに会社では, 大学時代に購入した今時のはさみを使っている. こちらは紙しか切らないように心掛けているし, この歳になると紙をはさみで切ることも多くないので, いまだ切れ味抜群である