昨日, ボタン電池を買いに行った. 直径 6mm くらいの電池で, 型番は刻印されているものの非常に読みにくい. だから電池そのものを持って, 電気屋に向かった
電気屋に着いて, 店員さんに電池を見せて「これと同じのを下さい」と 言おうと思ったのだが, 思い直して, 自分で型番を凝視して, 棚から 同じ電池を探してレジに持っていった
店員さんに電池を見せるということは, 大袈裟に言えば電池を探すことの 責任を他人に転嫁することである. 私の肩の荷は降りるが, そういう 緊張感がないと人としてふにゃふにゃになってしまうんじゃないか? と思った. で, 電池選択の全責任を自分で負うため, 自分で型番を調べたのだ
そもそも店員さんに電池を見てもらおうと思った理由は, 自分で見るのが面倒だったからだ. 最近, ちょっとしたことが徐々に面倒に なってきた気がする. 簡単な計算でもすぐに電卓を出したり, 机の周りの 整理整頓が中途半端だったり, 会話の中でモノの名前を「あれ」で誤魔化したり, いろいろある. でも自分に適度なプレッシャーをかけてないと, 面倒くさがり病が蔓延しそうで, 要注意だ
子供の頃, トランプの神経衰弱が得意だった. あぁ, 自分は大人よりも 記憶力があるのだなぁと当時は思ったのだが, 今にして思えば大人は トランプの札を覚えるのが面倒なだけだったのかもしれない :-)
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